藪医者


これまで、竹の良さや超能力的なことばかりを強調してきたのに、事ここに及んで竹から出た悪口を書かねばならないのは残念である。
しかし、ここでどうしても書かねばならない事実がある。

まず、竹にまつわる諺や言葉に有り難くないものが少くないことをご紹介しなければならない。
例えば、薮にからむものに「薮医者」「薮医者の玄関」「薮医者の病人選び」「薮蛇」「薮医者の手柄話」など多い。
その代表はなんと言っても「薮医者」である。
この「藪医者」、近代科学の粋を駆使した最近の病院の先生が聞かれたなら、頭から湯気を上げて怒られるに違いあるまい。

そもそも、竹薮と言うのはちょっとした風でもざわざわと音をたてる。
だから、「ちょっとした風邪を診ても、ざわざわ音をたてるほどの先生」というのがその語源のようである。
昔ならもっともな言葉であったろう。

ところで、どんな名医「植物病理学者」でも止めることはできないのが竹の開花現象である。
昔から竹に花が咲くのは60年に一度とか、100年に一度とか言われている。
とにかく、竹の花にお目にかかれる機会はめったにない。
だから、昔から、竹や笹に花が咲くと凶事の前触れなどと恐れられてきた。
これは、その現象そのものを滅多に見ることができないからである。

竹はイネ科の仲間であるから、花を咲かせ、種を実らせて一生を終えるのは植物としての生理現象であって、病気ではない。
したがって、止めることもできないのである。

 会津磐梯山は宝の山よ ササに黄金がなりさがる

と唄われる民謡の「ササに黄金」とは、ササに花が咲き、種がたわわに実った状況を唄ったものである。
竹や笹は大面積にわたって一斉に開花し、種を実らせる場合が多いので、このような唄が残っているのである。
竹や笹の花は桜やバラの花のように人々を魅了するような美しいものではない。
花そのものはイネとそっくり似ている。
だから、竹に花が咲いたと気付くのは、花が終わり、種が実ったり、枯れ始めてからである。
しかも、一生に一度拝めるかどうか分からないほどの頻度でしか起こらないのである。
しかも、今日でも、どの種類がどれだけの周期で花を咲かせるのかほとんど明らかになっていないのが実状である。

一例を紹介すると、昭和30年代から40年代にかけて日本全国のマダケに一斉に花が咲き、竹林が壊滅状態になったことがあった。
このため、竹産業界は竹材不足に陥り、大混乱を招いた。
ところが、この大開花枯死は日本だけでなく、世界中の出来事であった。
つまり、マダケは世界のどこに植えてあっても一斉に開花したのである。
この珍しいマダケの開花現象については、古文書に多く残されているのである。
その記録をたどると、マダケの開花周期はおよそ120年となる。
この周期はかなり確度が高く、海外の研究でもそのように発表されているものが多いことから、おおむね120年周期で開花するのは間違いないとされているのである。

次に、モウソウチクの開花周期についてはどうだろう。
植物学会誌によると、1912年に神奈川県都筑郡中里村で7本のモウソウチクに花が咲き、その種を蒔き、苗を育てたとある。
その後その苗は立派に育てられ、竹林に仕立てられてきた。
それが1979年にまた開花したのであるから、このケ−スの開花周期は67年である。
しかも、このモウソウチクは京都大学や他の研究機関にも移植されていたのであるが、そのすべてが同時に一斉に開花したのである。
したがって、このケースに見る開花周期は67年と言いたいのであるが、実は、一般的な開花現象は生えている場所の一部分だけ開花するのが普通であって、このように広範囲にわたって同時に一斉開花するケ−スは珍しいのである。
だから、すべてのモウソウチクの開花周期を67年と断言すると大変な間違いなのである。

それにしても、竹が数十年間、時には百数十年間、数百年間も無性繁殖を繰り返し、その間、花を咲かせる次の時期をちゃんと忘れずにいるのは不思議という他ない。
薮医者でなくとも、これだけは科学的に説明するのは大変なことである。
アメリカの竹学者マクル−ア博士はこのような生きざまからマダケのことを「ミステリアス・バンブー」と表現したが、まさにその通りである。

ついでに、バングラデシュやミャンマ−などに生えているメロカンナという種類は竹に花が咲くと、ちょうどリンゴのような大きさの果実を実らせる。
これも立派に発芽し、竹に育つ。
世の中には不思議な竹があるものである。

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