藪蛇


小学館の「ことわざの読本」によると、正確には「藪をつついて蛇を出す」というらしく、 その類似の言い方として「藪を叩いて蛇を出す」や「藪蛇」が挙げられている。
そして、この諺の意味は「しなくてもよい余計な事をして、かえって災いを受けるたとえ。」と書かれている。

ところで、皆さんご自身に「藪蛇」のご経験はお有りでしょうか。 善良な皆さんには恐らくそんなご経験など無いかも知れないが、この私には多少身に覚えがある。 しかし、それが私自身の将来に大きな影響を及ぼすほどでなかったのは幸いであった。

ヘビで思い出すのは、若かりし頃のことである。 私は田舎の農家育ちだったので、田んぼ道なんかでよくヘビに出喰わしたものだった。 しかし、その頃はそれほど恐怖を感じなかったように思う。 だから子供らが集まって、ヘビに石をぶつけたりして、いわば遊び仲間のような存在だった。 今なら、さしづめ動物虐待とやらで非難されるであろうが、 あの頃は立派な遊びだったのである。

しかし、物事が分かる年頃になった途端、あの長くていやらしいヘビに出喰わさないことを祈るばかりになった。 臆病になったと言うか、たまに山道なんかを歩いていて、あの長いヤツに出喰わすと、飛び上がるほど驚くのである。

さて、この「藪蛇」と言う諺は、「藪にはヘビが居るから、藪をつつくとヘビが出る」ということから生まれたのだとすると、 あたかも藪にはとてつもなく沢山のヘビが棲息しているということなのか。

Profile にも紹介したように、私は実に長年竹藪に入って仕事をしてきた者だ。 本来、人間様に嫌われている動物であるから、あれに出喰わした記憶など、忘れる筈もない。 ところが、私の過去を振り返ってみると、「竹藪の中」でヘビに出会った記憶など、ほとんど無いのである。

聞くところによると、わが国には36種類のヘビがいると言う。 どんな所に、どれくらいの密度で居るのか知らないが、竹藪に居ても不思議でないと思うのである。 だから、これまで竹藪の中でヘビに出喰わさなかったのは、単に運が良かっただけのことだろうか。

考えてみると、竹林はヘビにとって決して住み難い環境でないような気がするのである。 つまり、竹は水を欲しがる植物であるから、乾燥した所には育ちにくい。 ヘビも多分水気がないと生きられないと思うのである。

では、餌が無いのか? これに関係あるか無いかは別にして、私はかつて竹林にどれだけの動物の遺体や糞があるかを調べたことがあった。 その結果、1ヘクタールに45〜86キログラムの動物の遺体や糞などがあり、それが竹林の生態系を維持する重要な要素になっていることを知ったのである。 これがヘビの生活とどんな関係にあるのか知る由もないが、もしそれらがヘビにとって大切な餌に関係あるとするなら、竹林にヘビがもっとうようよ居てもいいような気がするのである。 それなのに、これまでなぜヘビに出喰わさなかったのか、その訳を世のヘビ学者にお聞きしたいものである。

ところで、私は東南アジアの竹藪にもちょいちょい入る機会があった。 タイ国西部のカンチャナブリというかなり乾燥した地域にはパイ・ルアークという竹が密生している。 それを調査するため、随分その竹林に入った経験がある。

ある時、かなり湿った川辺の竹林に入った時、案内のタイ人が「ここにはコブラやニシキヘビがいるので、私が先導します!」と言うではないか。 これには参った! しかし、結果的には一度もそんなヘビに出喰わさなかった。 考えてみると、これも幸いだったと言うことだろうか。

ある日、そんな竹林内に立てられた木造二階建の宿舎で昼寝をしていたら、突然「キャー」と言う女性の悲鳴が聞こえた。 びっくりして飛び起き、広場に出たら、長さ2メートルほどのニシキヘビが大木の幹をゆっくり降りているではないか! 実は、その木の根本には竹製の長椅子が設えてあって、その椅子に赤ちゃんが寝かされていたのである。

悲鳴を上げた女性は、その赤ちゃんの母親だった。 彼女が言うには、「コイツが赤ちゃんを狙って降りてきたんです!」と。

それからが大変だった。 3,4人の若者が手に手にロープを持ってきて、大捕物作戦が始まった。 しかし、彼らはなぜか笑顔で捕り物に挑戦しているではないか! そして、しばらくの戦いで 首尾良く捕獲したのであった。ところで、笑顔だったのは「金儲けが出来た!」ことによるもので、 何でも高い値で売れるんだそうだ。

これなら、「藪蛇」も結構エエ話じゃないですか?

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