竹取物語の世界



『今は昔、竹取の翁という者ありけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。』

この文章で始まる「竹取物語」は日本最古の小説として有名であり、どなたも一度は目を通されたに違いない。
この小説は何度読んでも実に面白い。
絶世の美女「かぐや姫」に5人の貴公子、さらに御門(帝)まで求婚するが、いずれも失敗。
ついには、その美女「かぐや姫」が昇天してしまうという筋書きは、テレビドラマ以上の展開で面白い。

さて、この竹取物語はおよそ西暦900年代の成立とのことであるが、明確な成立時期や作者すら明らかでない。
西暦900年代といえば京都に建都してようやく落ち着きを見せてきた平安時代である。

筋書きでは、とても貧しい生活をしていた竹取の翁がかぐや姫を見付けてから、竹を伐る度に竹の中に黄金が入っていて、たちまち長者になっていく。
かぐや姫の美しさは『家の内は暗き処なく光満ちたり。』と表現されているように、大変な美しさであることが説明されている。
その彼女に、『色好みといはるるかぎり』という極めつけの形容詞で酷評される5人の貴公子が求婚してくるのである。
この五人の貴公子はいずれも日本書紀(720年)に出ている実在の人物とのことであるから、なおさらである。
ついに、御門まで求婚してくるのである。
しかし、かぐや姫、『御門の召して宣給はむこと、かしこしとも思はず。』と言って、もったいない求婚すら門前払いである。
こうしてすべてを拒否した後、翁と悲しい別れを告げて月に旅立つのである。

話はざっとこのような内容であるが、これから当時の世相をよく読み取ることができる。
すなわち、飛鳥・奈良時代に確立された強大なピラミッド型集中権力が平安時代に継承され、それが底辺の人々を虐げ、苦しめていたことを厳しく批判しているのである。
本当の意味は、かぐや姫を「世直し請負人」に見立て、貧しい暮らしを強いられていた竹取りの翁をモデルに、富と権力の横暴を批判したものであろう。
だからこそ、実在の人物を登場させる必要があったのかも知れない。

もともと、竹にかかわる人々は海洋民族であったと言われている。
かつて九州南部には隼人民族がいた。
彼らは南洋諸島の竹細工技術を身に付け、たどり着いて土着民となった。
彼らは強大な畿内政権に頑固なまでに抵抗したが、ついに破れ、そしてある人々は畿内に連れて来られた。
そして竹器を作らされ、献上させられたのである。
このような分析は、沖浦和光著「竹の民俗誌 ー日本文化の深層を探るー」(岩波新書)に詳しい。

ところで、竹林の造成が本格的になったのは室町時代と言われ、その種類はマダケやハチクであった。
まだモウソウチクが渡来していない時代である。
だから、奈良・平安時代には竹林や竹は珍しかったであろうし、当然竹を細工する技術や文化も存在していなかったであろう。
だからこそ畿内隼人の役割は大きかったに違いない。
別の見方をすると、日本の竹細工が厳しい差別の中で形成されて来たと言う歴史的背景の上にこの「竹取物語」が書かれたと言えるのである。

一方、この小説の中で興味をそそるのは、『筒の中光りたり。それを見れば、3寸ばかりなる人いと美しうて居たり。』と、『3月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、・・』という文章である。
古来、竹の筒、つまり空洞には霊力、呪力が潜んでいると考えられていた。
それが色々な形となって現在でも祭祀によく竹が使われている。
例えば、地鎮祭に土地の四隅に青竹を立てて厄払いするのもその流れであろう。
かぐや姫がその竹筒の中で光って存在していたと言う発想は、竹筒の霊力からであろう。

かぐや姫が3ヶ月で大人になったと言う表現は、作者が竹の生態を知っていたからこそ発想出来たに違いない。
当時、珍しい存在であったに違いない竹の「ほぼ3ヶ月で成長を完成する」と言う特徴を知っていて、それをかぐや姫の成長に結び付けたと考えるなら、この作者の洞察力には頭の下がる思いがするのである。


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