へんちくりん


幼い子供たちに竹の筒を見せ、『これ、なあに?』と訊ねると、日本人の子供なら直ちに『竹!』と答えるはずである。
恐らく100パ−セントそう答えるであろう。
しかし、自分の子供の頃を想い出すと、「竹とは?」なんて改めて教わった記憶がない。
また、わが子にわざわざ『これは竹ですよ。』なんて教えた記憶もない。
それなのに子供たちが何時しか竹の形を知っているのである。
つまり、日本人にとって竹は本当にポピュラ−な植物であると言う証拠であろう。

今度は大人に竹を見せ、『これは何という竹ですか?』と訊ねると、まず満足な答えは返って来ない。
スギやヒノキなどを見分けられるほど木のことを知っている人でも、竹となると話は別である。
その道のプロと自称していている私でさえ、時には頭を抱えてしまう場合すらある。
とにかく竹の種類分けはややこしい。
つまり、ポピュラ−な植物でありながら学問的にはやっかいな植物なのである。

さて、いつかテレビのクイズ番組で、『竹はイネの仲間だ。イエスか、ノ−か。』と言うのがあった。
答えはもちろん『イエス』である。
専門的に言うと、イネ科の植物は細長い葉と茎をもった草であるが、竹は木のような茎をもっているのでイネと違う特徴がある。
そこで、最近の学問では竹類をイネ科の「タケ亜科」とするのが一般的になっている。

昔から、よく「竹」とか、「笹」とか、分けて表現される。
学問の世界でも片仮名でタケ・ササと書き、分けて扱われる場合が多い。
そこで問題になるのが、『タケとササはどう違うのか?』である。
元来、竹は「高き木」、笹は「細小竹(ささだけ)」が語源といわれている。
つまり、大形は竹、小形は笹なのである。
極端な例として、例えば、今宮戎神社のお祭りで、「商売繁盛で笹もってこい。」の笹が大型のモウソウチクの枝であっても笹なのである。
七夕さんの笹も、大きなモウソウチクであっても笹と呼ぶ。
だから、元来、竹と笹は人の主観によって呼ばれ方が決まるといった方が正しのかも知れない。

しかし、学問の社会ではそうはいかない。
一つの学説として、「タケノコが成長し終えた時、竹の皮が稈から落ちるものをタケ」、「落ちずに、いつまでも稈に残るものをササ」と言う学説がある。
この学説を「高き木」と「細小竹」の概念に当てはめてみると、おおむね当を得ている。
しかし、やはり当てはまらない種類が存在するのも確かであり、大きさで呼称するものと定義するなら、やっぱり不自然な感がある。
そこで、私は学問的なタケ・ササにこだわらず、当たり触らずの意味から「竹」「笹」の漢字を使うことにしているのである。
もちろん、学者の方々からお叱りを頂戴するに違いないと思うが、あえてこだわらないことにしているのである。

さて、世の中には不思議な形をした竹がある。
その最たるものの一つはキッコウチクで、漢字で「亀甲竹」と書く。
これは、節が互い違いに斜めになっていて、節が互いに離れている部分はボコッと膨れている。
その姿が亀の甲羅のように見えるので亀甲竹と言うのである。
しかも、この竹は普通の形をしたモウソウチクの竹林の中で突然発生することがある。
まさに「へんちくりん」な現象である。
その原因は、元を正せば両種は兄弟であり、亀甲竹はある種の突然変異で生じたものである。
また、亀甲竹ばかりの竹林なら、さしずめ「ちんちくりん」である。

竹の稈は必ずしも緑とは限らない。
キンメイモウソウの稈には黄金色の縦縞があって、ほとんど黄金色の稈に見え、実に綺麗である。
熱帯地方にも黄金色の竹がある。
稈だけでなく、葉っぱの色にも色々なのがある。
緑の葉っぱに白い縞が入っていて、葉全体が白く見えるスズコナリヒラ、葉の先が白色のアケボノザサ、黄色い葉のカムロザサなど、竹や笹には緑の竹の常識を破るような色をしたものも少なくない。

このように、竹には多くの変わりものがある。
俗に「へんちくりん」は「へんてこりん」であり、「常識はずれ」を指す言葉である。
この言葉は、多分「変竹林」から生まれたっものであろう。

ところで、『日本には何種類の竹がありますか?』とよく聞かれ、この質問には閉口する。
ある学者は600とか、800とか、とにかくまちまちである。
これは、竹類は地球歴史的にみて新しい植物であるため常に変異を起こしているため、種類をどのように定義するかによって生じている問題である。
とにかく、だからと言って、その質問を無視することもできない。
そこで、敢えて言うなら、およそ「300から400ほどでは?」というのがやっとである。

こうみると、竹はやはり「へんちくりん」な植物でり、時に「ちんちくりん」になる植物といわざるを得ないのである。

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